20年前のわたしがこの状況を知ったらほんとうにおどろくと思う。え?毎日?タダで?世界中から?興味ある内容で?言語を選択して?動画が見れる?どういうこと?なんでわたし大学に通ってんの???????
抽象思考とか情報処理とか、そういうことがこんなに日常を、人生を左右する社会になってしまったんだよ、いいとか悪いとかは別として。
そのむかし、バブル時代という時代にわたしは中学生で、高校受験のためにいろいろ勉強するタイプで、教師の話もよく聞いていたと思う。くだらない話もたくさんあったけど、さいきんふっと思い出したはなしがある。
「数学と英語ができないと、ヤバいんだよ。おまえたちが大人になったころはなんでもコンピューターになってて、自分であれこれ管理しないといけなくなってる。で、英語が読み書きできないと、大事な情報を得ることができなくなっていく。」というようなはなし。そのときは、ふーーーん、とはるか遠くを眺めるような気持ちで聞いていたが、「あの頃の未来」に立ってみると、あの教師はなかなかいいことを言っていたなと思う。そうなんだよ。抽象思考とか情報処理とか、そういうことがこんなに日常を、人生を左右する社会になってしまったんだよ、いいとか悪いとかは別として。
だから、こうしてわたしは毎日PCに向かって読んだり書いたりしているわけで、そのときにやはり外国語はすごく役に立つし、数学的な思考もどこかで役に立っているんだと思う。そういうのを14歳に説明するって、難しいよね。
ヴィーガンなので食材や日用品はネットで調べて買うことが多いんだけど、もし、こういうことができなかったら、ヴィーガン生活はけっこう難しいと思う。どこから何を買うか、その企業ポリシーはどうなのか、外食するならどのカフェやレストランが妥当なのか。そういうのはぜんぶオンラインの世界なので、そのへんで誰かに聞いても絶対に無理なんです、まあ、いまのところ。
で、ネットで買えば小売りをすっとばすことができるので、たいがい割安で、やはり消費者としても有利になるわけで、こういう技がなかったら、経済的にも厳しくなってくる。SNSで仲間の情報をキャッチできなかったら、どうしても遅れてしまう。そんな時代に、わたしたちは生きている。そことどう距離感を取りつつ、自分の人生をキープしつつ、情報は得つつ、過剰にならずにしかも、こちらから発信できるか。
書いてみて思ったけど、これはほんとうに難しい。英語とか数学とか、そういうジャンルを超えた難しさだと思う。
だから、お茶を飲んだり和菓子を食べたりして、どうにか正気を保っています。
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おひとりさま豪華晩酌の図。ホテルにて。
職業名とかポジションとか役職名とかなんかそういう「名前」みたいなのがついてしまうと、人は、そう人間はそこに自分をなんか入れ込んでしまう、気付かないうちに。
中田ネタは続くんですけども。この人はほんとうに見ていて飽きないし、魅力的だと思う。ミッドフィールダーで、パスのイメージが強いんだけど、実際はものすごく走ってドリブルしてるし、シュートもばんばん放っている。そういうところがもう、なんていうか、わおーーー、っていう感じなんだよね。じぶんを型にはめこまない。わたしはそういうタイプに、むかしっからとことん弱い。
職業名とかポジションとか役職名とかなんかそういう「名前」みたいなのがついてしまうと、人は、そう人間はそこに自分をなんか入れ込んでしまう、気付かないうちに。
たとえば、猫はそんなことしない。「俺は猫なんだから、ニャン、と鳴かなくちゃ。ネズミを捕らなくちゃ。」とか思わない。実際はいろんな鳴き方をするし、行動パターンも猫の数だけある。人間はそういうのからなかなか自由になれない。
でも、中田は、ヒデは、自由なんだよね。そういうあれこれから。サッカー選手、Jleague、とかそういうイメージにもぜんぶハメられなかった。
わたしの場合運動は運動でも社会運動なんだけど、運動家、活動家も、まあ、古典的、典型的、保守的なイメージにはまり込んでしまう人は多い。それだとね、もったいないんだよね。ミッドフィールダーだからって、パス以外のこともやっていいし、やったほうがいいし、やるべきなんだよ。
と、サッカーなんかできないわたしに思わせてしまう、ヒデはすごいんだよ。
ほんとうにおいしいワイン、ほんとうの名画、ほんとうに通用する知恵は、みんなを納得させる。そう、そういう迫力を持っているかどうかがすべてなんだと思う。
将棋も落語も好きだけど、サッカーも好き。
わたしはそんなにミーハーなほうではないけれど、誰か今地上で生きている人間で、会わせてくれるなら、絶対に彼を選ぶ。生まれ年も同じだし、長生きしていれば、どこかで会えそうな気がする。とわたしは願いを託して生きよう。
わたしはサッカーがうまいわけではなく、べつに詳しいわけでもないが、この人を見ていると、そのすごさというのはほんとうによくわかる。優れた人というのはそういうものだ。詳しくない人でもわかる、わからせてくれる。そういう人が、世界を変えていくんだと思う。そして「個性」という日本では忌み嫌われるその「個性を」持ち続け、輝かせ続けた彼は、ほんとうにわたしのスターだと思う。
ほんとうにおいしいワイン、ほんとうの名画、ほんとうに通用する知恵は、みんなを納得させる。そう、そういう迫力を持っているかどうかがすべてなんだと思う。
そういうことを、見事なミドルシュートを見ながらわたしは何度も思った。あの位置から、何度も練り上げて、何度もイメージしながら、誰もいない場所で、黙々と練習をこなしていたに違いない、超努力家の彼の姿を。
写真:知恵蔵
わたしはよりよい明日を本気で願っているから、だからまず、自分自身をなんとかする。
まえに進まなければならないので、進む。どうにかしないといけないから。
進むためには、いろいろとしなければならない。まずは、過去の重荷を下ろすこと。
部屋を片付けるには、まず引き出しの中味を出してしまわないといけないように、自分をバージョンアップするには、自分の中味を点検しないといけない。これがなかなか辛い。しょうもない自分とひたすら向き合うという果てない作業だから。でも、これがいちばん大切なことを、わたしはよく知っている。
人類だってそうなのだ。進むためにはちゃんと振り返らないといけないのだ。自分たちがやってきたこと、取り返しのつかない事態を数多く招いてきたこと、謝って済む問題ではない問題が累積していること。それを振り返ることでしか、よりよい明日はやってこない。
わたしはよりよい明日を本気で願っているから、だからまず、自分自身をなんとかする。
撮影:知恵蔵
高学歴でも能力が高くても在野にいて、運動に参加している人もいる。そういう人たちが、運動を支え、レベルをじわじわ上げつつある。
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大きく時代が変わろうとしていて、そのことにわたしたちが追い付くというのがたいへんで、それでもみんなで次へ行かなければならない。そういうあれこれのために、まいにちあれこれ、頭を使って、常識を疑い、枠組みを外し、試行錯誤であれこれやっていく。そういうのを、わたしはこうして書くということで再確認したい。
たとえば「野良猫」に対しても人々のイメージは変わってきている。いままでは「のんきで気楽な」存在くらいにしか思われていなかった野良猫たちは、保護され家族を探される存在となりつつあり、それが可能でなくともTNRなどを経て、地域猫として大切にされる存在としてみなされつつある。これは時代が勝手に変わったのではなく、だれかが発信し、それを受けてまた誰かが発信し、広まってたわけで、人々の力なんだと思う。
一昔前はブログもSNSもなく、なにかメディアでの発信をしたければ、出版社や新聞社などに就職するしか、手はなかったが、いまは違う。だれでもこうして書けるし、クウォリティの高いブログも多数ある。スマホは若い世代ではほぼ全員が持っており、なんらかのSNSに参加しているため、拡散することも本人の意思で可能になっている。時代は変わってきた。わたしたち運動側には有利に働いていると考えていいと思う。
また、高学歴でも能力が高くても在野にいて、運動に参加している人もいる。そういう人たちが、運動を支え、レベルをじわじわ上げつつある。それはどこにいても感じる。
あきらめてはいけない。だって、わたしたちは、たくさんのたすきを受け継いで、最後まで走らないといけないんだから。
幻想に乗せられ、消費し、あれこれ試み、そして落ち込む、というこのスパイラルから、わたしは出たのだ。そう、自由なのだわたしは。
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わたしは漫画も読むし、それが実写化されたドラマも、アニメ化されたものも見る。
世界中のオタクなみなさんが興奮するだけあって、日本のレベルはほんとうにすごいと思います。
わたしが主人公に感情移入できるのは、男性主人公のほうが多くて、これはむかしから。女性主人公も悪くないけど、ああこういう苦労するよね、こういうこと言われたりされたりするよね、こういうことで悩むよね、というような共感とかはあるけど、それで終わるような気がする。それでも、恋愛が苦手で、まじめな働く女性系のはけっこう読んだり見たりする。そういうのけっこう多い。若かったときは学園もので、まじめな優等生の女の子が、優等生の男の子と、不良っぽい魅力的な男の子の間で揺れる、という古典落語ともいうべきあの世界が、そのまま大人になり、大人可愛いになり、美魔女になり、ずっと続くんだろう。わたしたちが70代、80代とかになったらどんな設定で、このストーリーが続くんだろうか。果てしないね。
前はそれでも、わたしはまじめだから「そうだよね、恋愛とかもしないといけないよね。服とかもそれなりにしないといけないよね。」とかまじめに考え、取り入れ、実践を試みていた。しかし、もう、そんなのは飽きてしまった。古典落語は、よっぽど演出がよくないとつまらない。そう、つまり、ドラマで十分なんだと。そんな東京の一部のエリートですらっとした人たちが作り出した幻想に乗せられ、消費し、あれこれ試み、そして落ち込む、というこのスパイラルから、わたしは出たのだ。そう、自由なのだわたしは。
というわけで、ひとりでどこそこ、普段着で出かけてしまうんだけど、なかなか気に入った場所がない。そういう人が想定されてないんだと思う。カップルかファミリーじゃないと、人はなかなかお金を使わないんだと思う。わたしみたいに、素泊まりで1泊のお客はホテル側だってあまりいい顔はしない。だって、黙々と風呂に浸かって、瞑想して、朝のビュッフェでご飯と納豆と漬物を黙々と食べ、お土産も買わずにさっさと帰っていく客を、どのホテルが歓迎してくれるっていうんだろう。
まあ、でも、いいとこみつけるよ。だって、わたしみたいな人、けっこういるはずだから。
自画像:知恵蔵φ(..)