自分がそれを好きで、納得していて、自分に合っていると思えるならば、その人生は上出来だ、とわたしは思う。
読み物から探す | 未来をつくる生活を提案するヴィーガンエシカルサイト Hachidory
運動にいる人たちには、それぞれ事情がある。コアにコミットしている人もいるし、周辺の人もいる。これは企業だってそうだろう。熱い人もいれば、冷めている人もいる。がんばる人もいれば脱力系もいる。老若男女国籍問わず、宗派も政党も関係ない場合が多い。そこはなんというか「場」であり、そこを巡ってさまざまなドラマがある。これは企業に就職することとそんなに違いはない。「給料」がないだけで。華やかな実力派や、ビジネスとしてやれる人、議員になれる人、一目置かれている人、周囲の承認を得やすい人、そういう人は、どこにいてもだいたい有利なんだろう。それは運動も同じ。
わたしはやはり現場が好きで、地味で地道な活動が性に合っている、とつくづく思う。動物保護活動とかは、やはりわたしには合っている。動物が好きでも、この活動は人を選ぶと思う。どんな活動でも仕事でもそうだろうけど、「好き」はあまり理由にならない。きっかけにはなるけど、継続の理由にはならない。だから、ほんとうに自分というものを知らないと、自分にほんとうに向いている仕事や活動には出会えないんだな、とつくづく思う。自分がそれを好きで、納得していて、自分に合っていると思えるならば、その人生は上出来だ、とわたしは思う。そういう人生を送れるならば、自分に合う人とも自ずから出会えるから。わたしは動物たちを助けるために、日々黙々とやっている人たちを、とても好きだと思う。
わたしって、どんな人だっけ、ということをいつも問うていたい。そういう理由から。
イラスト:知恵蔵φ(..)