知恵蔵日記( ..)φ

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こんな時代で夢や希望を語ることはわたしにはできない。だから、せめて、わたしたちにできること、つまり生き方、食べ方の話をするしかない。

むかし、いまのわたしの年齢と、半分くらいの年齢だったころ、ペレストロイカ直後のロシアに行ったことがある。素朴でやさしい人たちがたくさんいた。

寒いのに野宿の人もたくさんいた。こどもたちは、街にたくさんいた。ぞろぞろついてくる。アジア人がめずらしのだろう。なにか欲しいのかな。5円玉を上げた。穴があいている硬貨というのは珍しいのだ。少年たちはぼくもなにかちょうだい、と言いながらみんな寄って来る。あげれそうなものはみんなあげた。「ありがとう、ほんとうにありがとう。」と言いながら、どこかへ行ってしまった。あの子たちは今、どんなしごとに就いているだろうか。あの5円玉はどうなっただろうか。

 

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「自国を守るためなら」、他国に対して攻撃をしかけてもいい、という考え方の人が残念ながらまだまだ多くて、わたしはほんとうにそのことが悲しく、無念で仕方ない。

なぜ、そんなことを思えるのだろうか。むかし「なるほどざワールド」とかそういう番組があって、とても人気があったけど、今はないのかな。いろんな国があって、それぞれみんな楽しく暮らしていて、というそれだけのことで世界は成り立っている。難しくも言えるが、簡単に言えばそういうことだろうと思う。残念ながら有利な国とそうでない国とあり、なので支援をしたり、「先進国」と呼ばれる国に住む人間が食生活や生き方を変えるしかないわけだが、関係性としては対等であるべきだろうと思う。

 コーヒー豆を生産している国のこどもたちは、あさから晩まで働いている。そして暗くなってから、明りの下にみんなで集まって、板や棒きれを使って、文字の読み書きをおぼえている。それをわたしは、コーヒーを飲みながら快適な部屋でネット上で知る。

なんと世界は不条理に満ちていることだろう。せめて、わたしは、読み書きができるわたしは、こうして文章を書き、その不条理について語り続けようと思う。

 国内レベルで見ても、有利な人とそうでない人はいる。有利な人はどんどん有利になる。有利な人脈、勉強できる環境、いい仕事、友人関係などにおいて、恵まれていて、だれかそうである、ということはそうでない人もいる、ということだ。だからせめて、わたしは自分にとって必要な分だけをいただいたら、それ以外は還元することにしている。いろんなやりかたがある。目に見えることもあるし、見えないこともある。

 ヴィーガン、ということをわたしは語り続けているが、それはつまりそういうことだろうと思う。「自分にとって必要な分以外は取らない」ということだろう。世界レベルで見れば人口は増えており、食糧はどんどんなくなる。多くの人は戦火の中にいる。この国でさえ、いつ戦争に巻き込まれるかわからない状態にある。放射能汚染は拡大し、次の原発はどれがいつ爆発するかわからないまま、老朽化をひた走る。人間だけならまだしも、資本主義という抽象戦争はいつだって進行中で、動物たちは毎日おびただしい数が犠牲になっていく。目に見えない暴力が蔓延し、自らの命を絶つ人も多い。未成年のおかれた状況もどんどん過酷になっていく。こんな時代で夢や希望を語ることはわたしにはできない。だから、せめて、わたしたちにできること、つまり生き方、食べ方の話をするしかない。

 冒頭のロシアの少年たちにはなしを戻す。この国にはあんな少年たちはいない。こどもは、「知らない」人についていったり、なにかもらうなんて絶対にしてはいけないことなのだ。そんな国だ、ここは。身を守るためにはしかたない。でも守らなければならない、というのは、なんと悲しい社会だろうか。