それが、わたしたち一人一人にやれる、「目の前の」ことだ。
やれることを、やっていく。ひとことで言うと、そういうことだ。
ハチドリ的に生きる。どんなに小さいことでも。小さいことだからこそ。
消費をやめ、クリエイティブに生きる、ということもそうだろう。
わたしはもう、メイクをしない。ネイルさえ、ベージュや透明を足に塗るくらい。
いつも同じ草履で、同じような服を洗って干して、順番に着る。ドライクリーニングには出さない。そういう服は持っていない。
シャンプーはたまにしかしない。お湯で流す。石鹸もあまり使わない。
美容室もほとんど行かない。髪は伸ばして後ろで束ねている。だから、ヘアアクセを選ぶくらいが、毎日の「おしゃれ」の選択肢として残っているくらいだ。ネックレスも好きだけど、猫がおもちゃと間違うので、しない。バングルやブレスレットも好きだが、PC作業の邪魔になるので、しない。指輪も家事の邪魔になるのでしない。ショートヘアならヘアアクセもないのだけど、ショートはすぐ伸びるから、結局セミロングに落ち着く。カラーリングもしない。
20年前、わたしは90年代の若者だった。今の感覚では考えられないほど消費していた。でも「必要」と思っていた。就活のためにメイクも練習した。
そういう世界は今でもある。そこからどれだけ離れて生きるか。それが、わたしたち一人一人にやれる、「目の前の」ことだ。