高校は、多くの人が卒業している。しかし、授業内容を完全に理解して卒業する人は少ないだろうし、いないだろう。10代の若者には経験がないから無理なのだ。だから、高校を卒業したと、言ったところでなんの意味もない。
↑いいサイトを見つけました。人生は長い。よくも悪くも長い。しかも、時代がこんなに急激に変わるのだから、知識はどんどん古くなる。ということで、切実に知識不足を感じているので、どうにかしたく、このサイトから始めることにした。
よく高校時代の夢を見る。焦っている。試験は近いのになにも理解していない。走っている。焦っている。そんな夢を見る。だったら、夢のお告げ通り、ちゃんと勉強すればいいんじゃないか、と思いたった。仕事とか活動とかに役に立つ。大学でなくて、高校というのがいいと思う。
高校は、多くの人が卒業している。しかし、授業内容を完全に理解して卒業する人は少ないだろうし、いないだろう。10代の若者には経験がないから無理なのだ。だから、高校を卒業したと、言ったところでなんの意味もない。わたしの場合は、ひたすらセンターの黒丸を塗りつぶして終わった気がする。だから、実用系、商業系の知識はもちろんまったくない。普通高校・進学校系の人間は現場のことはなにも知らない。
だから、まあ、基本的なボキャすらない。PCのキーボードの操作さえちゃんと習ったわけではない。だからわたしたちは、そういう実務系のことにからきし弱い。なので、遅ればせながら、その辺からやっていく。それは、きっと、なにか明日につながることだから。
新品でなくていい、みんなで使えばいい、買わなくていい、持っているもので工夫すればいい、という発想にシフトした人から順番に生きやすくなっていく。
ドラッグストアの売り上げが、百貨店を上回った、というニュースを読んだ。これはいろんなことを意味すると思う。まず、何と言っても、ドラッグストアには衣類の販売がない。つまり、人が服を買わなくなった、ということだと思う。実際、用事があって百貨店などに行っても、総菜売り場とか、東急ハンズとかは混んでいても、それ以外は空いている、というか販売スタッフしかいないというかんじの平日だったりする。
実際要らないのだ、衣類はもう。わたしはほぼ、リサイクルショップでの売買ですべてを済ませている。捨てなくていいし、高価な新品を買わなくていいし、環境負荷をかけなくていいので、罪悪感がない。
わたしのようなタイプは増えてきていると思う。そりゃあ、リップクリームとか爪磨きは買うからドラッグストアには行く。だから単価が安くても、ドラッグストアのほうが、百貨店より売り上げがあるんだろう。わたしのようなタイプでも行くんだから。
冬だって別に百貨店に行かなくても防寒できる。黒タイツを履いて、インナーをちゃんと着て、あとは重ね着すればそれでいいわけだから。これもドラッグストアで買える。
脱消費路線で生きていく知恵を身に付ければどうにかなる。なんでも「新品を」「自分のために」「買う」というのはエシカルとは対極の姿勢なわけですよ。新品でなくていい、みんなで使えばいい、買わなくていい、持っているもので工夫すればいい、という発想にシフトした人から順番に生きやすくなっていく。
外国の人のドラッグストアでの爆買いももうなくなってきているそうだ。彼らだってもうモノは買ってしまった。あとは良質なサービスや情報、癒しを求めてやってくる。
そういう場所をわたしたちが創っていけるかどうか、なんだと思う。エシカルに。
できることを、それぞれが毎日毎日生活のなかで、ひとつひとつやっていく。
↑こういう動画って、実は大人向けなんだと思うんですよね。
できることを、それぞれが毎日毎日生活のなかで、ひとつひとつやっていく。
結局それしかないんじゃないか。
それを積み重ねているうちに、なにかぽーーんとひらめいたりする。
それをやっていくしかないんじゃないか。
そんなことを最近思います。
ちゃんと生きたいから、目の前のことひとつひとつをちゃんとする。それを積み重ねていく。
とりあえず、一呼吸置きたいので、ブログを書くことにする。書くことは精神の深呼吸のようなものだとわたしは思う。書くことで明確になることというのは多い。そうすることで、わたしは次になにをすればいいのかが、すっと見えてきたりするから。
やりたいこと、やるべきことをやらなければ生きている意味なんてない、とわたしは思う。ある友人のツイートで「生きてればそれでいい」なんて嘘だ、ちゃんと生きなければ意味がないみたいなことを書いていて、わたしもほんとうにそう思う。ちゃんと生きたいから、目の前のことひとつひとつをちゃんとする。それを積み重ねていく。
そのために、その過程として、じぶんのことをちゃんと知る。そうすると、いままで好きだったモノ、もの、者が好きではなくなる。というか、いままでだって別にすきではなかったのに、なにも考えてこなかっただけなんだ、とわかる。分かってしまう。それは、けっこう切ないことだったりするんだけど、でもちゃんと生きているとそうなる。なにかを卒業するにはいい季節だ。
さて、まずはお茶でものもう。わたしはコーヒーをやめようと思っている。
無駄なことをしない、というと冷たく聞こえるが、そうではない。わたしはわたしのことをするから、あなたもそうすればいい、という相互尊重のはなしなんだよね。
どの機種も、最後まで、液晶が見えなくなるまで使うので、全部思い入れがある。
頭のなかがわちゃわちゃするので、とりあえずブログを書くことにする。最近、頭のなかにあることは全部出すようにしている。ブログや手帳に書いたり、人に話したりする。出してしまうというのは、すごくだいじ。こころが便秘してしまうからね。
だから、とにかく、出す。
メモやノートは持っている使いかけのを全部フルで用途別に使い分けて、すっきりさせる。人生は同時進行だから。仕事、生活、いろいろな活動、頼まれごと、ちょっとした用事、思いついたこと、やってみたいこと、調べないといけないこと、大切な計画…人生はあらゆる物事に満ちている。だから、いつも整理しながら目の前にある物事をひとつひとつクリアしていく。それしかない。必要でないことはやめて、するべきでないこともやめて、しなくてはならないことから順に時間を割いていく。そのために、いったん立ち止まって考える。そのためにブログやなんかはあるんだろうと思う。
情熱がほとばしっているときほど、そうした冷静さは大切なのを知っている。
怒りが満ちてきたときほど、その解決方法をクールに探さないといけないのも知っている。そうでないと、体力がどれだけあってもたりない。バッテリーには容量がある。しょっちゅう充電できるわけじゃないから大切に使う。そのために頭を使う。
①今、今日すること。
②1週間くらいさきまで。
③2か月くらい先のこと。
④年内
⑤10年計画
⑥一生の目標
これくらいのイメージで細かく持っていていいと思う。そうすると、①が見えやすい。
無駄なことをしない、というと冷たく聞こえるが、そうではない。わたしはわたしのことをするから、あなたもそうすればいい、という相互尊重のはなしなんだよね。
ヴィーガンは毛皮や皮革も身に着けない、ということもちゃんと書いてあり、好感度が高かったです。
運動を続けるには仕事のことをちゃんと考えないといけないんだよね。わたしたちは、何足ものワラジを毎日履き替えながら生きています。
今週のお題「卒業」
自分を認められない自分を、卒業('ω')ノ
謙遜とかそういうのではまったくなくて、もともとそんなによくないあたまを酷使しているものだから、ちょっとというかかなり疲れています。ゲイツさんとかジョブズさんとかいう人たちはまあ、頭もいいけど、体も丈夫なんじゃないだろうか。頭を支えているのは、体だもんね。だから、頭脳労働の人たちは身体を鍛えていたりします。
語学のほうは、まあ、年の功もあるし、ネットでいろんな教材が自由に聞けるし、いい時代にはなったけれど、努力しないといけないことには違いはないわけで、まあ、こちらはいつになってもたいへんです。語学というのはわたしにとっては人生そのものだから、いい思い出ばかりではなくて、辛いこともたくさん思い出してしまうし、まあ、生きるというのは大変なことです。
近年は運動のほうにずっとエネルギーを注いできたわけだけど、人間は仕事をしないといけないわけで、だから運動を続けるには仕事のことをちゃんと考えないといけないんだよね。わたしたちは、何足ものワラジを毎日履き替えながら生きています。
というわけで、自分のことをよく知るということ、自分の生活を大切ししつつ、身体をケアしつつ、やれることを全力でやっていかなければいけないんだよね。