知恵蔵日記( ..)φ

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そちらの世界にいる人をうらやむこともない。自分が向いていることを黙々とやればいい。

もともと、自分の人生に対し期待値が低い、っていうのは人から見たら「冷めている」っていうかんじなのだろうけど、わたしにとっては娑婆を生き抜く知恵であり、よくも悪くも諦観的な生き方を身につけてしまった。朝起きて仏教書を読み、猫のお世話をして(向こうからしたら遊んでやってるのかもしれない)一日が終わる、というのはいいものです。

 

 「デート」とか「恋愛」とかっていうのも、わたしにはずっと遠い世界で、巻き込まれてもすぐに出てしまうので、おおむね関係なく生きて来れた。自分では使わないボキャブラリーで、そういう世界というのは、ドラマとか小説だけでよかった。それでああだこうだ言われてきたけれども、興味がないものは興味がないので、仕方ないのだ。ドラマとか映画では、わたしのような女主人公が出てきて、それなりに美しくなり、相手を得て、という世界が繰り返し描かれ、わたしたちは洗脳されてしまうのだが、わたしは現実の世界に生きているので、美しくなくても、デートなどぜずとも、生きていける。しかし現実の世界ではいろんな人と関わらなくてはいけない。一緒になにか活動をしたり、同居したり、お世話になったりいろいろある。仕事とか運動とかの方が性に合っているわたしは、そちらの世界にいる人をうらやむこともない。自分が向いていることを黙々とやればいい。

 

 わたしのような感覚を、人に話すと驚かれたり、嫌がられたりする。「励まされ」たりする。だから面倒だから、話すのもやめてしまう。もう、疲れたのだ、はやいはなしが。運動していることも関係している。アニマルライツとか原発反対とか、そういうことを共有できる人を得ようとするのもやめてしまった。

 

 主流秩序、から離れるとはどういうことだろう。わたしはもともとずっと離れていたから、そこから離れる、というのは主流秩序にいる人々にとってはどんな経験なんだろう。大変なんだろうか。最近、人を見るとそのことばかり考えてしまう。