日々、いろいろやれることを模索していますφ(..)
こういう風に、書いてあちこち貼ってます。
うちに来た人は、必ず見ることになると思います。
Tシャツはこのようにディスプレイにもなります。必ず目につきます。
どんな小さなことでも、するほうがぜったいによいのです。知恵蔵
話したり書いたりすることは、直接命を救うわけではないけど、間接的にはものすごく救うわけだから、やっぱりこの分野の人がもっと増えてるといいよな、と思いました。
きのうは、ひさしぶりにイベントに参加し、たくさんの人を前に話したり、カメラを向けられたり、多くの人と対話したりした。ひさしぶりだったので、刺激的で興奮した。
動物愛護活動っていうのは、動物を相手するわけではなく、こうやってひたすら人間を相手する活動なんだよね、とその原点を思いました。
やっぱりどの運動にもスポークスパーソン的な人は必要なわけで、わたしはそれなんだな、と思います。話したり書いたりすることは、直接命を救うわけではないけど、間接的にはものすごく救うわけだから、やっぱりこの分野の人がもっと増えてるといいよな、と思いました。
イベントは各地でいろいろあるから、そこにどう関わっていくか、もっと練っていこうと思います。
ぴかぴかしてる人やモノや場所、お金のかかっている場所、新品のものが売られている場所、車がたくさん止まっている場所、などがもう無理になっている。
じぶんの畑のレタスをちぎって、手作りドレッシングをかけて食べたりするのが楽しくてしかたないので、出かけるのがおっくうなんだが、先日どうしても銀行に行かなければならず、となり町まで降りていった。
ゆうちょやメガバンクとはさよならしているが、地銀には関わっているので、どうしても銀行にはときどきは行かないといけない。で、行った。2つともがんばって行った。すごく疲れた。銀行だけで。ショッピングモールの駐車場も疲れた。熊本市内まではもう絶対いけないだろう、この調子では。それくらい、人間や人工的な雰囲気、お金の雰囲気、などがわたしを疲れさせるようになっている。1年前には考えられなかったことだ。カフェにもよらず、買い物もせず、さっさと帰ることにした。
ぴかぴかしてる人やモノや場所、お金のかかっている場所、新品のものが売られている場所、車がたくさん止まっている場所、などがもう無理になっている。
わたしの毎日はそういうあれこれと無縁に流れている。畑と、猫たち、馬たち、山、川、そういう日々。不便とは思わない。食べるものもどうにかなっている。買い物はネットで中古で安く買う。読む本もあり、こうしてブログも書ける。
街に暮らすことも、嫌いではなかった。というかけっこう楽しんでいたと思う。
でも、今のわたしは、田舎ぐらし以外は考えられない。それくらい、いま、ここにフィットしている。
アニメの不思議ちゃんキャラで通したいです、ほんとうは。いや、通せるのか?やってみようかな。
衣食住はだいじだから、わたしは衣食住について書くのがすきです。
たとえば、気に入ったジーンズと出会ったりすると、生活や仕事がしやすくなって、いいことが増えたりするので、やはりそういう意味でもなにを着るかとか、なにをおやつに食べるかとか、ちょっとしたことでもだいじだと思うんですよね。そういうことには決して手を抜かないわたしです。楽天中古市場はすごいですよ。なんだってある。捨てなくていい。新品でなくていい。中古はすばらしい。
猫たちとは、みんな平等に、同じように関係を作っているかというとぜんぜんそうではなくて、猫との数だけ関係性があります。人間とおなじ。ピンキィという子は2010年に愛護センターから子猫でやってきた、最初の子なんだけども、この子はわたしにずーっとくっついています。よくアニメのキャラで不思議な子が動物を肩に乗せていたりしますよね。あんなかんじ。魔女の使い魔、というか。アラレちゃんとがっちゃん、みたいなね。
人間より、猫のほうがずっと好きで、猫さえいればそれでいいんだけど、というわけにもいかず、いろんな人と関わったり、協力したりしながらちゃんと生きていけるように、わたしなりに努力してます。アニメの不思議ちゃんキャラで通したいです、ほんとうは。いや、通せるのか?やってみようかな。
なにを植える? トマト、なす、きゅうり、豆…なんでも。
なにを待ってる?
誰かを待ってる。
どんな誰か?
わたしにふさわしい誰か。
どうして?
なにか一緒に生み出せるから。
どこに行く?
わたしが活かされる場所へ。
なにをする?
なにかわくわくすること。
たとえば?
みんなが幸せになれるようななにか。
なにが欲しい?
なんでも植わっている菜園。
なにを植える?
トマト、なす、きゅうり、豆…なんでも。
どんな場所を創りたい?
リラックスできて、同時に知的な場所。
誰が来るかしら?
わたしにふさわしい、誰かが。
勇気を出して、ひとつひとつ止めていく。やめる、止める、辞める。
引き算のほうが、ずっと大切なのだ。生きていくうえで。このような過剰な社会においては。買わないこと、行かないこと、持たないこと、作らないこと、しないこと。ちゃんと意思表示しながら、ひとつひとつやめていく。そうやって生きていくしかないし、そうすることで、わたしたちは、次の段階の豊かさを手に入れることができる。
勇気を出して、ひとつひとつ止めていく。やめる、止める、辞める。
ちょっと手持無沙汰なかんじがするかもしれない。へんな罪悪感があるかもしれない。少し寂しいかもしれない。でも、それは次の段階へ入るための好転反応のようなもので、そこをクリアしたら、新しい世界に入れる。
景色が変わる。少し不安。いつだってわたしたちは成長の途上にある。