断捨離してすっきりした、というブログを読むと、で、捨てたものはどうしたんですか?といつもいつも思う。
ことばに対するこだわりが強くて、好きでないことば、使わないことば、というのがけっこうある。その一つが「断捨離」というものです。わたしは使いません。
とにかく捨てろ、という思想は全然好きではありません。
わたしが好きなのは「手放す」「卒業する」「譲渡する」「還元する」などで、捨てたりはしません。誰か必要な人の場所に届くような工夫を最大限凝らします。それは断捨離ではない。エゴで買ったものを、エゴで捨てる、そんな価値観はわたしにはない。
プロセスとしては
①整理整頓する
②吟味する
③必要なモノだけ手元に残す
④それ以外は、フリマ、譲渡、廃品回収、リサイクルなどに回す。
⑤収納する場合も、わかりやすくしておく。
などになると思います。断捨離してすっきりした、というブログを読むと、で、捨てたものはどうしたんですか?といつもいつも思う。
ファッション | 未来をつくる生活を提案するヴィーガンエシカルサイト Hachidory
脱消費生活のすすめφ(..)
将来の計画などもあるので、貯蓄とか、お金のことなどを、前よりもずっと考えるようになってきている。結論的なことを先に書くと、貯めるには「使わない」のが一番なので、無駄をなくし、買わずに済ませるという方法を生活のあらゆる場面で模索すればいい。
ふらふら歩くならば、街中はやめて、川べりとか郊外とかにすればいい。TNR活動にもつながるし、なにか新しい発見はあるし、なにより空気がきれいだ。飲み物などは持って出ればいい。
衣類や持ち物は片付けて、いつも点検しておけばいい。お気に入りのリサイクルショップを見つけて、定期的にチェックすれば掘り出し物が見つかる。
「お買い得」とか「まとめ買いのチャンス」とかいうのは、売る側のことばなんだから、それは売る側としては言ってくるだろう。だからって、それに乗らない。
「やるしかない」という気持ちがそこにあるか、ということ。
仕事とかいろいろな活動に求められる資質は結局、ただ一つ、「地味に地道に継続すること」、これに尽きるんだろうと思う。これがやれるかどうかが、すべてと言ってもいい。最近読んだ漫画とか本とかで、サッカー選手、落語家、棋士、編集者などの仕事内容が細かく分かったけど、ジャンルは違っても、仕事として選ぶ、ということは同じことなんだな、と思う。「やるしかない」という気持ちがそこにあるか、ということ。
そして、そこでの責任があればあるほど闘いはあるし、負けるわけにいかない。「勝ちたい」のではなく、「負けるわけにいかない」ということ。
そういう本気の人と確実につながっていきたい。
人間のための食事としてのヴィーガンのほうもちゃんと知り、発信していかないといけなんだよね、と思うようになりました。
ひとり脳内連想ゲームφ(..)
本を読んでも人間界の中だけでの出来事に、もはや興味を持てない。
わたしだって、前は無邪気に映画をみたり、カフェに行ってなんでも食べたり、ほしいものをなにも考えずに買ったり、ライブに行ったり、パーティに行って意味のない話をしたりしていたんだよ。
でも、もう、ほんとうにそういう世界から離れてしまった。そこにいるのが辛くなってしまった。なにも知らず、考えず、知ろうとせず、知っていても無視し続ける人たちと、楽しく過ごす、なんていうことができなくなってしまった。彼らが祝うことをわたしはめでたいと思わず、彼らが信じる価値観をわたしは持たず、彼らが使うことばを、わたしは理解できなくなってしまった。そんな場所に、どうして居続けることができるだろうか?
むかし観たはずのたくさんの映画やドラマも、もう思い出せない。それをときどき動画で見てもなんかこんなにつまらなかったっけ?と落胆してしまうから、見れない。
本を読んでも人間界の中だけでの出来事に、もはや興味を持てない。
わたしは、場所がほしいのだ。わたしがほんとうにくつろげて、生き物たちが殺されず、脅かされずくつろげて、本当になかまと呼べる人だけがやってくる、そんな場所がほしいのだ。そんな場所が見つかれば、わたしは猫たちを連れて、明日へでもそこへ向かおう。そこをわたしは最期の場所にする。
生きてたって別にいいことがあるわけじゃないけど、でも生きてるんだから今日も、生きるしかない。という結論にいつもいつもたどり着いてしまう。
まあ、生きてたって別にいいことがあるわけじゃないけど、でも生きてるんだから今日も、生きるしかない。という結論にいつもいつもたどり着いてしまう。
だからこそ、自分以外の命のことを考えることもできるわけで。自分が幸せで、自分が一番、というようなわたしだったら、今のわたしなんかじゃないわけで。
そういう厭世的なかんじだと、どうしても世の中から遠ざかるし、それはもう仕方ないと思う。オメデタイ人たちと会っても、なにを話していいかわからないし。なにか聞かれたら困るし。「ほんとうのこと」を語れば嫌がられるし。
という人間社会で、わたしはどうやって生きていけばいいのか、悩んで悩んでやっぱり腰が痛いんだよ。