目の前に非暴力への切符があるならば、それを手に持って、平和行きの列車に乗ればいいのだ。
肉食を暴力と理解すること、そして平和・非暴力の実践としてヴィーガンというものを理解する、というのはそんなに難しいことだろうか。ヴィーガンというのを、最初から多くの人は無理だと決めつけ、「自分はできないけれども」という前提で語り出すことに、わたしはいつも切ない思いをする。目の前に非暴力への切符があるならば、それを手に持って、平和行きの列車に乗ればいいのだ。そこにはなかまがたくさんいる。まあ、いなくたって、わたしは乗るんだけれども。
11月1日がワールド・ヴィーガン・デー、ということで各地でヴィーガンフェスなどが行われる。ぜひ、多くの人に足を運んでほしい。そして、ヴィーガンを概念としてではなく、身近に感じてほしいと思う。理想でも理念でも概念でもなく、具体的な実践としての日々の「食事」であることを、多くの人に知ってほしい、と心から願わずにはいられない。
どうか、ためらわないでください。
平和で、慈愛に満ちた世界と、戦争やテロ、飢饉におびえながら暮らす悲しみの世界、あなたはどちら行きの列車に乗りますか。
「平和」行きのチケットに印刷されている絵。