知恵蔵日記( ..)φ

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多くの人々は、DVのことを分かっていない。殴るけるだけでなく、金銭的なこと、性的なこと、相手の意見を尊重しない、相手の嫌がることをする、なども含まれる。

今週のお題「いま学んでみたいこと」

hiroponkun.hatenablog.com

 

 「○○なら●●の要求にこたえるべきだ」はどんな時にでも使われる、権力の理屈で、これを許せば際限なく自由が奪われる。子どもなら親の、妻なら夫の、生徒なら教師の… そうやって、人々はこの定理を内面化し、最も、身近な暴力とも言えるDVを許し、仕方ない、と認めてきた。

 そして多くの人々は、DVのことを分かっていない。殴るけるだけでなく、金銭的なこと、性的なこと、相手の意見を尊重しない、相手の嫌がることをする、なども含まれる。そして、被害者のほうが「わたしが悪いんだ、いけないんだ」と責める構図に持っていく。

 恋愛、ということばは、明治になって西洋から輸入され「LOVE」の訳語としてあてられた概念である。それまでなかったから、発明された、と言ってもいい。ベースボールを輸入したから、「野球」ということばを作ったのと同様である。それぐらい、最近の概念だろうと思う。

 わたしは、日本に肉食、結婚、恋愛、球技などの西洋文明が入ってきたことが、悲劇の始まりだったのではないだろうか、と思う。いや、入って来るのはしかたないとして、無批判に受け入れ、賛美し、表面だけ真似したことがまずかっただろうと思う。

 漱石の「こころ」などを読むと、恋愛という概念を、どれだけもてあましているかが分かる。苦しい小説である。この苦しみをこれからどうやって背負っていくのか、そのことをあの小説は表現している。肉体関係があろうがなかろうが、苦しいものだろうと思う、恋愛は。

 だから、せめて恋愛を美化したり、なにか表面的に楽しんだりするのは、おかしいことだろうと思う。

 

 わたしには恋愛は「落とし穴」のようなものにしか思えない。なるべく避けたい、と思っていても、どうしようもなくて、落ちて、先が見えない。そういうものだと思っている。実際そうではないだろうか。

 だから大切な人とは友情で結ばれたい。恋愛はしなくていい。

 肉を食べなくても生きていけるのとほんとうによく似ている。

 

 

 

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