社会のなかで生きていることをいつも実感していたいし、そのつながりを感じていたい。人間だけのことを考えるなんてなおさらできないし、海や山を守りたい。
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わたしがもし、運動とかしてなかったら、というのはまあ、ときどき考えてしまう。想像もつかない。自分のためだけに生きて、貯蓄して、消費している自分。なにかを知っても広めようともせず、みんなと共有したり工夫しようとしたりもせず、傷つかないようにだけ生きている自分。仕事するにしても、そういう基準で仕事を選ぶ自分。人間関係も自分にとって心地よいかだけで選ぶ自分。
でもわたしはそうでない。ぜんぜんそうでない。嫌がられても、わたしは社会のなかで生きていることをいつも実感していたいし、そのつながりを感じていたい。人間だけのことを考えるなんてなおさらできないし、海や山を守りたい。
社会運動は会社勤めと違って、いわゆる「給料」がない。報酬とか喜びはあっても、給料は出ない。これが会社勤めならば、ストレスを解消するような賃金が出て、それをなにか好きなことに使って、ということもあるが、運動にはそれがない。
でも、それを凌ぐものがある。だからわたしはやめないんだ、と思う。そこで出会った人々、その知恵、やさしさ、無条件の愛情、それを知ってしまったから。
だからわたしは運動の人なんだと思う。ときどき、忘れないようにしたい。この基本を。だから、わたしもそうでありたい。優しくなければ、意味がない。