マイノリティな人と、マイノリティならではのはなしをしたい。ときどき、すごく思う。それで、どんな苦労をし、工夫をし、人生になにをもたらしたのか。
動物性のものを、着たり食べたりしない。
ヴィーガンである、ということは、いまの日本社会ではマイノリティなわけで、多くの人がなりたいのになれなかったり、カミングアウトできなかったり、断念したりしている。それは、ほかのマイノリティにも通じる問題だと思うんだよね。わたしはカミングアウト派で、まずこのことを話してから、人間関係を作るようにしている。そのほうが、結局お互いにとって、いろいろといいから。わたしはほかにもいろいろマイノリティである面がたくさんあるので、そういうあれこれには慣れているのかも。
でも、というかわたしにもいわゆる「ふつー」の面、標準的、一般的なことはたくさんある。たとえば、外見、とかそうじゃないかな。別に目立たないと思う。背が高いとかあるいはとても小さいとか、あるいはすごく美人とか、ハーフとかじゃない。その辺にいるかんじと思う。髪型も、ずっとセミロングだったのをショートボブにして、どっちもふつうだと思う。色は黒で、カットするだけ。カラーリングとかもしない。
性別は女性、性自認も女性。男性に間違われたりとかもない。わたし自身は性別ってどうでもいいけど、ここまで女性でやってきたし、これからもそれでやっていく。
ファッションもふつう。デニムにTシャツやフリースを合わせる。コンビニのショーツにキャミソール。なんのこだわりもない。明るい色がすきなので、それは特徴にはなるかも。でも、そんな人もたくさんいる。ユニクロやGUに行けば、年中何色でも売ってある。
化粧はしない。しなくなってしまった。する必要がないから。
そのことはすごく気に入っている。目立たないということ。紛れるかんじ。帽子やマスクをすれば、ひっそり行動できる。誰からも気付かれない。呼び止められない。必要があれば、こちらから話せばいい。タクシーがなかなかつかまらないお年寄り、泣いているこどもさん、旅行者の人、なにか探している人…。
だから、どうしても、一人でいる時間が長い。自分自身でいられる、誰からもなにも言われない。比較されず、批判されず、あるいは面倒くさいと思われない。
マイノリティな人と、マイノリティならではのはなしをしたい。ときどき、すごく思う。それで、どんな苦労をし、工夫をし、人生になにをもたらしたのか。