その「違和感」こそ、さまざまな始まりの予感であり、思考の原初である、とも言えます。
↑この記事を読んで、親鸞の「悪人正機」を思い出すのは、わたしだけでしょうか。
親鸞は「欲望」と「欲求」を分けた人です。そのことは非常に革命的であったし、そのことで多くの人々は救われたであろうと思います。
親鸞的、「悪人正機」的な、わたしから見たらやはりやや男性的な思想は社会にとって大切な思想である、とわたしは言いたいと思います。
しかし、やはり女性であるわたしは、どうしても違和感を感じる部分があることも否めません。でも、その「違和感」こそ、さまざまな始まりの予感であり、思考の原初である、とも言えます。
5月1日、わたしは友人と本願寺にお参りして、そこからいろいろなことが始まりました。やはり、出会いこそ、すべてです。
知恵蔵