そのとき何をどう買うか、っていうのを考え始める人が増えれば、社会が動くわけですよ。毎日投票しているようなものですよ。
まあ、ずっと「消費」に関する考察を続けているわけですが、ヴィーガンになったことと、あとは不買運動のこと、あとは自分の生活の変化などがあって、すっかり買わなくなった、ということ。まあ、どうにかなってるけどね。むかしが買いすぎていた、というのもあるけど、でも、まあ、不便なときもあります。
それとはまた別に、実際、近くに店がない、というのはあります。わたしはある地方都市のど真ん中に住んでいるのですが、ものすごく閑散としてます。アーケードの方に行けば、そりゃあ、グローバル系、全国系もあるけど、そういう所はもちろん行きたくないわけ。何年か前までは、庶民向けのデパートや、スーパー、個人商店や、商店街などもあったりして、けっこう散歩がてら行けていたんだけれども、そういうのも軒並みなくなりました。アベノミクスとかで潤っているのは、大都会のほんの一握りで、地方、庶民、マイカーがない人とかには、どんどん大変なことになってるんですよ。うちの近所のみなさんも、買い物とかほんとうに大変みたいです。
アマゾンとかがどんどん発達して、どんどん便利なかんじになってきているようで、
ほんとうにそうなのかな、と思うわけですよ。
少し割高でも、いいものを、近所で、っていうそういう発想の人が増えればいいと思う。散歩したり、会話したり、そういうことを含めての「日常」としての売買、を大切にしたい。
アニマルフリーのパンが売ってあるパン屋さんとは、そんな感じで、こっちが応援すると、どんどん質があがる。どんどん良くなっていく。そういうことだと思うんです。売買っていうのは。顔の見える関係、っていうのは。
そういうことを、消費全般で取り戻したいです。だって、みんななにかしら買って生きているわけだから、そのとき何をどう買うか、っていうのを考え始める人が増えれば、社会が動くわけですよ。毎日投票しているようなものですよ。
そういうことをわたしは書きたいのです。