ベジタリアンである理由を「動物のため」と言うことを多くの人はためらうのか。
いろんなことを、「自分のことばで」書いていきたい。お決まりの表現じゃなくて。
ペットショップはなぜいけないのか。なぜ命に値段をつけたらいけないのか。
なぜ増やしたらいけないのか。なぜTNRなのか。なぜ猫は完全室内飼育なのか。
なぜ犬をつなぎ飼育してはいけないのか。なぜ動物「ふれあい」ビジネスがだめなのか。なぜ動物カフェを良く思えないのか。
なぜ昆虫採集や、魚を捕って自宅で飼育することはおかしいのか。学校とかの「飼育小屋」とかはどうなのか。「教育」の名のもとで、実験、解剖、飼育、と殺までやって、それがほんとうに「命を学ぶ」ことなのか。
なぜ菜食を呼びかけ続けるのか。寒さをしのぐためなら、動物を着てもいいのか。
なぜ「人間のために」わざわざよそから野生動物を連れてきて飼い殺しにするのか。
なぜ人間のこどもの「教育」なら許されるのか。
なぜ人類はこんなにも動物を犠牲にして生きて行かなければならないのか。
実験って、何なのか。ほんとうに必要なのか。なくてもいい仕事なんじゃないのか。
ただ、なにかを発表するために、虐待をなにか別のことばで言っているんじゃないのか。
なぜ、製薬会社に営業職員が必要なのか。本当に必要な薬なら、わざわざ営業するまでもないんじゃないのか。
なぜ、人間の医学のためなら、人間の健康のためなら、多くの人が関心を持ち、そうでない理由ならないがしろにされるのか。
なぜ、ベジタリアンである理由を「動物のため」と言うことを多くの人はためらうのか。
そして、なぜ実際、そういう人を見下したり、攻撃したりするんだろうか。
そういうあれこれは、わたしのなかにずっとある。
ことばという「かたちに」して、明確にしていくのが、わたしのしごと。