知恵蔵日記( ..)φ

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一人でやっている。なんとなく、人が集まる。仲が良すぎない。仲間意識が強すぎず、だれとでも少しずつつながる。

今週のお題「今年見に行ってよかったもの」

川内原発再稼働を阻止するために集まった人々のさまざまなアクション。

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 原発は再稼働されるし、戦争法案は通るし、ひどい1年だったが、個人的には意義深い年でした。ほんとうに、自分というものをみつめたし、かぎりなく「素」に近づいていった、と思います。

 

 恋愛がいやなら、友情はどうか、と考えたとき、わたしはずっと「友情」は大切だと思っていたし、多少離れて住んでいても、ときどき会うような関係を大切にしていたし、運動のなかまと集まるのも好きだった。そう、好きだったのだ。でも、そうではなくなってきた、ということに最近気づいてしまった。友情も、もう、そんなに必要ないのだ、わたしには。

 わたしは女の子の友だちや、可愛がっているせいとさんや、妹的な存在もいつもいて、買い物に行ったり、一緒になにか食べたり、寝泊まりしたり、そういうことをずっとしてきた。でも、もう、そういう相手はいない。それは、本質的にわたしがそういう相手を求めていないからだと思う。そういう方向にエネルギーを持てないのだと思う。保護猫がいて、その場所を離れられないというのもあるが、それは本質的な理由ではないと思う。本当に会いたいなら、会うはずなのだ。わたしの性格なら特に。

 友情や、愛情というのは「いいもの」とされており、友人や恋人がいるということはいいこと、となっている。まあ、そうだろうと思う。でも、もう、わたしには、それすら当てはまらないのだ。

 運動なかまのブログなどを読んでいると、なかまと盛り上がったとか、そういうことも書いてあって、ほほえましいが、でもわたしもそこにいたいとか、わたしもそういうなかまが欲しいとかは、思わなくなってしまった。血縁家族だけでなく、なんらかの「共同体」的なものを、わたしはほんとうに必要としないのだ、と思う。だからひとりでNPOをやっていて、名前も知らない近所のみなさんと、猫のはなしをする。動物病院のみなさん、行政の人、なんらかのしごとつながりの人、こういう人たちは友人でもなかまでもない。しかし、わたしは、そういう人たちと話をすることが大切だと思っている。運動は「ムラ」を作ってはいけない、と思うようになった。だから、なるべくいろんな人と少しずつつながりたい。コアななかまを増やす、というよりは。

 

 映画「かもめ食堂」のあの食堂とか、「めがね」のかき氷の屋台、みたいなイメージがわたしには強くある。一人でやっている。なんとなく、人が集まる。仲が良すぎない。仲間意識が強すぎず、だれとでも少しずつつながる。

 そういうNPOを、わたしはやっている。やさしく、じわっと思いを広げたい。

 

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