知恵蔵日記( ..)φ

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放射能は目に見えない。だから、視覚化しなければ、簡単に忘れられる。

フクシマ」と呼ばないでほしい、という記事がさかんに読まれているようなので、そのことについて書いておく必要を感じるので書いておきたい。

まあ、そういう人もいるだろう。放射能はないことにして、小児がんが増えていてそのことが無視されていること、汚染水が流され続けていること、それにもかかわらず、原発はなくなるどころか再稼働されているということ、そういうことを考えなければ、日本全国どこでも「ふつうの日常」はあるだろう。

 わたしはずっと一貫して反原発だが「フクシマ」という言い方もしないし、福島のことを特に言うこともない。みんなの問題だと思っているからである。しかし、汚染されていることは事実で、それをなかったことにするわけにはいかない。公害が起こる、というのはそういうことだ。足尾足尾銅山を、四日市四日市ぜんそくを、水俣水俣病を、そして広島、長崎、福島は被曝を連想させる。そしてその問題を、みんなで背負うしかないのだと思う。ナガサキヒロシマ、とカタカナで書くことと、漢字で地名として書くことがある。それは、その地に住む人を差別する意として使われては絶対にならない。

 わたしは熊本人なので、水俣のことは他県の人よりはよくわかる。修学旅行の時、水俣の子たちもおなじ時期に、同じ場所にいて、お土産屋さんの人が、「水俣やって。水俣って、水俣病のあれやろ?たいへんやな。」と話していた。そうやって、行く先々で言われるのはたまらないだろう。だから、話題にするときは配慮が必要だ。わたしなども、反原発者であるが、チェルノブイリ、福島などの地名は必要あるときしか極力使わない。当事者のひとたちが使うのはまた別である。

 しかし、そうやって忘れられていくのは、もっと危険なことだ。ないことにされてしまうのは、最も恐ろしいことではないか。どんなに酷い症状が出ても、関係ないことになってしまう。

どんなに線量が高くても、屋外での競技やイベントがなされる。馬を使った祭りも復活しているそうだが、それは、アニマルライツ的にも、もうやめてほしいとわたしは思っている。馬だって被曝する。

 デリケートな内容なので、わたしはこの問題は、もう最近はあまり出さなかったが、書く必要を感じたので、書いた。

 放射能は目に見えない。だから、視覚化しなければ、簡単に忘れられる。

 そうやって、経済優先になり、川内原発は無理やり再稼働されてしまった。

 

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