知恵蔵日記( ..)φ

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わたしはこの祭りの存在自体を見直していくべきだと思います。馬虐待に限らず、人間も苦しんでいます。一部の人間が騒ぎたい、儲けたい、それだけのために。

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この祭りに関して、地元の人間としての視点から書くべきことを書いておく必要があるので、箇条書きにしてまとめてみたい。

 

①とてもうるさい、ということ。

 このうるささは、実際にその場にいないと分からないでしょう。静かに暮らしている人、病気の人、介護や看病の人、休みの日なのでゆっくり寝ていたい人からすればほんとうに迷惑でしかない、ということです。まず、わたしはここを最初に強調したい。

 

②馬という、人間以外の動物が利用され、時に虐待を受けているということ。

 熊本の人間から見たら、見なれてしまった虐待光景も、県外、海外の人から見たら、野蛮です。馬がかわいそう、とたいていの人は思います。暴れていないのは、押さえつけられているからです。嫌がっています。冷静に見れば分かります。

 

③そもそもこの祭り自体必要なのか、ということ。

 戦争が由来です。よその国に行って、人を殺して帰ってきたという「凱旋」の祭りです。掛け声が変わったところで、その本質は同じです。実際、日の丸の旗もたくさん見かけました。

 今、戦争に反対し、平和を願っている人がたくさんいるなかで、なぜわざわざこのような祭りに意味を見出さなければならないのか、ということがもっと本質的に問われるべきです。

 

④娯楽がほしい、騒ぎたいだけならば、ほかにもある、ということ。

 民衆の力を示す、ということなら安保反対、原発反対のデモをすればいいのです。そちらのほうがずっとまともです。

 いつもと違う服が着たいなら、コスプレパーティ、ハロウィンなどでいいし、出会いが欲しいならパーティでかまいません。飲みたいなら飲めばいいでしょう。そのために、地域住民に騒音公害をばらまき、馬を苦しめる必要があるのか、ということです。

 

⑤伝統はほかにもある。

 伝統は熊本にはいろいろあります。牛深ハイヤ、山鹿灯篭など、良質な祭りがあります。娯楽が必要なら、八千代座などで、歌舞伎や落語をやればいいのです。神道だけが宗教ではありません。仏教の寺院もたくさんあり、いろんな法話、催しがあります。

 

⑥馬を見たいならば。

 保護団体に行けば見れます。そこの団体に寄付し、お世話をし、ほんとうの意味で馬を知ればいいのです。暴れさせることがどれだけ愚かなことかよく分かります。

 

⑦地域を活性化させたい。

 熊本は農産物がたくさん採れます。野菜、果物、穀物などがほんとうに豊富です。九州から原発をなくし、ベクレルフリーの農産物を観光の目玉にし、ベジフェスをすれば、全国、世界から注目され、温暖な気候を活かした本当のリゾートになります。

 

⑧大声を出したい、憂さ晴らしをしたい、踊りたい。

 カラオケ、ジョギング、クラブ、などがあります。デモもお勧めです。

 

 というような理由で、わたしはこの祭りの存在自体を見直していくべきだと思います。馬虐待に限らず、人間も苦しんでいます。一部の人間が騒ぎたい、儲けたい、それだけのために。そういう構図にうんざりします。

 はやく気づいてほしい、と願わずにいられません。

 

 この祭り、いらない。馬を解放してください。わたしたちの静かな休日を返してください。

 

 

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