知恵蔵日記( ..)φ

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自分の足元で、わたしは地味に地道に毎日活動する。それでいい。それしかないのかもしれない。それが世界にとっては、どんなに小さなことであったとしても。

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」イダヒロユキ「閉塞社会の秘密」

 

 わたしが保護猫シェルターを始めようとしたとき、その活動の先輩筋にあたる方から、「シェルターをやると、ほんとうに、それ以外のことがやれなくなる。それだけになってしまう。だから、あなたはもっといろんなことがやれる人だから、目に見えないことをもっとやってほしい。」と言われた。いいことばだと思った。目に見えないこと。

 けれども、というかわたしは、保護猫活動を始めた。今、外猫あわせて14頭と毎日接している。殺処分に強く反対するうちに、自分でもなにかどうしても「目に見える」「確実で」「具体的な」「地道な」ことをせずにはおれなくなり、気がつくとシェルターになっていた。TNR活動、つまり地域猫活動のことを知り、猫に関しては、それが全国各地で徹底しない限り、殺処分はなくならないという現実と向き合い、わたしも、その一端を担うことになった。

 たしかに、「それ以外の」ことはやりにくくなったかもしれない。前みたいに、どこそこ出かけて、人と会って、食べて飲んで、泊って、とかそういうことはやれない。寂しくないといえばそれはうそになるかもしれないが、でも、「我慢している」とか「わたしが犠牲になっている」とかは思わない。わたしはヴィーガンだから、飲み喰いや宿泊もまあ、他の人より少し面倒だし、もともとつきあいは減っていた。それに仲のいい友人たちも、なんらかの活動、運動にその人生を捧げていて、みんなそれぞれに忙しい。まあ、簡単に会えるような友人はそもそもいない。

 それでも、どこかに行って、見分を広めたり、わたしが「啓発」する、話して回る、チラシや著書を配る、などそういうことは大切だと思っていたし、それをやる人も大切だし、それができなくなるのはたしかに困るかもしれない、と思っていた。

 そうかもしれない。でも、わたしは、保護活動を始めてよかった、と思っている。わたしはもう動けない。原発が爆発したら、どこへ逃げようかと前は思っていたが、最近は、どうやってレスキューするか、レスキューした子たちをどこへ受け入れるか。資金はどうするか、を考えている。爆発させないための反原発活動はもちろん継続して本気でやるが、もし爆発しても、わたしは逃げられない。むしろ、受け入れる方になった。つまり、わたしはわたしの人生に集中するようになったのだと思う。人がどういうかではない。わたしは、猫の保護活動をする。それだけだ。そして、そのために必要な知識を持ち、政治的、社会的に発言もする、というそれだけのことだ。誰かと比較する必要もない。情報に振り回される必要もない。地方都市で、保護猫活動をやっている人間、という立場から見えてくることを発言すればそれでいいのだ。

 室内のキャパを超え、地域猫活動に踏み出して、よかった。そのことで、わたしはいろんな人と毎日話すようになった。近所の人も、かわいがってくれ、名前を覚えてくれた。手術して、増えないようにし、みなさんに説明し、みんなで可愛がる。わたしは人になにか説明するのがわりと得意だし、みなさんもこの活動をとてもよく理解してくれ、猫が飼いたいけど飼えない人や、猫に対する印象が変わった人、などもいて、

わたしはこの地味で地道な活動にとてもやりがいを見出している。わたしの住むエリアは確実に変化している。ゴミ袋の生ごみを漁るやせた野良猫はいない。みんなにかわいがられ、ごはんをもらい、表情や毛並みのいい、「地域猫」が世話可能な頭数いる。

そして、そのことでみなさんも喜んでいる。ゴミも荒らされない。猫も人もみんないい。小さいけど、確実に変化している。

自分の足元で、わたしは地味に地道に毎日活動する。それでいい。それしかないのかもしれない。それが世界にとっては、どんなに小さなことであったとしても。

 

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ごはんを食べ終わったあとも、ずっとくつろいでいる、地域猫パピちゃん。

 

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