人間であるわたしは、動物たちのために、話したり、書いたりするしかない。
今週のお題「一番古い記憶」
まあ、いい。なにかしら書く。頭のなかには、なにかしら眠っている。わたしは片づけが好き。モノを減らしながら、生きて行くのが好き。頭の中味も、大切なことだけちゃんと残して、あとはさよならしていく。学校的な知識はほんとうに役に立たないモノがおおい。「サインコサイン」がどうだこうだと、どこかの知事が発言したそうだが、そんなもの性別関係なくほとんどの人に必要がない。だから「女子には」という表現は不適切だ。「サインコサインは必要ない」と言えばそれでいい。まあそんな場所だから、原発とか作られ、電気は足りているにも関わらず、再稼働させられる。差別は全部、同根なのだということが分かる。
文章を書くのは好きだ。書いているうちに、思いだしたり、思いついたりするから。戦争は人から読み書きも奪う。読み書きを奪う、ということはすべてを奪う、ということだ。
猫のTNR活動、保護・里親活動、殺処分反対運動を行っている。「増やしてはいけない」「外に出してはいけない」ということが、すっと分かる人と、なかなか分からない人といる。この違いはなんなのだろう、と思う。単に学力とか読み書きとも違う。
本質的なこと、大切なことを見極める力、というのか。
人間であるわたしは、動物たちのために、話したり、書いたりするしかない。なぜなら、彼らは「人間のことばを持たない」、それだけの理由で、劣位に置かれ、差別され続けているから。同じ命なのに。いや、過剰で加害性の強い人間よりも、ずっと尊い存在だというのに。