だからわたしは落語聞いてるんです。実践的だから。
女の子と仲良くなるのがめんどくさいのは、ほとんどの女性は「コイバナ」がしたいからで、わたしが年上などの場合は、「そういうときはこうすればいいのよ」的なことを言ってほしいのだ、というのはまあ、よく分かる。暇ならつき合ってあげてもいいが、わたしはそうでないから、仲のよい女性というのはよっぽどの相手になる。
反原発とかアニマルライツとか、語学とか、なんらかの話題があって、そこから人間関係ができるので「女の子どうしなら」何か話題がある、とかいうのは幻想なんだよね。DVとか毒親の相談になら真剣にのる。だって、それは命の問題だから。
でも、のろけ話は勘弁してほしい。桂枝雀の落語「くやみ」はのろけ話の落語で、それは枝雀だから聞けるんであって。
まず、やはり多くの人は恋愛を無条件にいいものと思っている。恋愛したい、と思っている。するのはいいこと、していないのはいけないこと、と思っている。そこがもう、前提としてわたしが全然違うんですよね。
わたしがしたい話は「間男」の仕方とか、場所はどこかとか、具体的なことであって、その内容とか相手のステイタスとかじゃないんですよ。実践として話したい。話すならば。
だからわたしは落語聞いてるんです。実践的だから。
「紙入れ」「茶漬け間男」あたりは秀逸。