わたしをわたしたらしめていた、その「何か」を。
わたしはコンプレックスがとても強いので、「ふつう」の生き方は無理だと、人生の早い時点で分かっていた、というか諦めていたので、その分いろんな活動に時間、体力、いろいろなエネルギーをつぎ込むことができた。
もし、わたしにコンプレックスが無く「ふつう」で「ふつうの人生」「人並みの幸せ」を信じる、そう「信じる」ことができたら、全然ちがう人生だっただろうと思う。なので、わたしは自分の人生を貫いてきた、苦しいコンプレックスにさえ、感謝をしようと思う。わたしをわたしたらしめていた、その「何か」を。
こういうはなしをすると多くの人からは「なんで?」「どうしてそこまで悩むの?」と言われる。だからめったに話さなくなった。芥川龍之介が、苦悩し、友人から慰められ「著書?名声?そんなものが何になる!」とさらに絶望したというくだりを読んで、
わたしのような者でも、その気持ちが多少分かる気がした。
せめてわたしも、もっといいものが書きたい。それがなんになる?と思うのではあるけれども。