知恵蔵日記( ..)φ

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優先的にやらなければならないことだし、同時に、わたしが満たされ、やりたいことでもあるからだ。

「わたしたちのような『一般』の人は」とか「右でも左でもない」とか「左翼ではないが戦争に反対だ」とか、連帯できるはずの人から言われる人のことばに傷つく。過激だ、極端だ、原理主義だ、偏っている、難しい…。そう?そんなに難しい?戦争反対、原発反対、肉食反対。とても明確だと思うけど。自然エネルギーとか、エコとか、ベジとか言えば、それで気に入ってもらえるの?それで何かが解決するの?

 

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 名前の話。名前というのはとても大事だから。名は体を表すから。わたしはことば、を大切に扱いたい。それでいろんなことが決まってしまうから。

 わたしの実名というか本名は「千絵」で、ちょっとフェミニンな傾向はあるけれども、まあ、読みやすいし呼びやすいし、悪くないと思う。本名が「知恵」とか「智慧」とかだったら、ちょっと名前負けというかプレッシャーだったろうと思う。

 なので願いを込めて、本やらブログやらで使う名前は「知恵」にした。仏教的で、ぴりりとしたかんじ。ジェンダー的にニュートラルにしたかったから「知恵蔵」にした。名前はどんどん変わっていい、とわたしは思う。噺家みたいに。だって、人間はどんどん変化するし、名前に応じて成長できるものだから。

 

 文学作品を書く時の名前は「大地」なのだけど、もう、そんな場合じゃなくなったので、この名前はわたしが育てた小さなオス猫にあげた。だいちゃん、とみんなに呼ばれている愛らしいキジトラ。トイレができるようになるまで、何度もわたしのパジャマやシーツを濡らし、夜中に何度も起された。発情期に突入したころ、ある晩、わたしの顔に何かかかった。熱い、痛い、そして臭い。おしっこをかけられた。まさかのガンシャ。手術をするときは、仕方ないとわかっていても多少胸が痛むが、このことがあって、「だいちゃん、明日、手術決定。」と言いながら、顔を洗った。

 子猫、子猫と人は騒ぐが、実際は大変だ。かわいい子猫の写真集やカレンダーなどで儲けている主流秩序な人々は、その利益の半分は動物保護団体に回してほしいものです。

 

 だいちゃんにはきょうだいがいたが、大きくなることがでず、亡くなった。わたしがまだ生きているその子を抱き、動物病院の待合室で無言で涙を流していると、まわりの人々はわたしの様子に気づき、あわてた。近くに寄ってきて、じっとわたしを見守っている人もいた。慰められたんじゃない。泣きたいのだ。ただ、悲しいのだ。

 弟猫が亡くなったときも、わたしはただ悲しくてずっと泣いていた。道を歩きながら、バスに揺られながら泣いていた。「悲しい」というのはこういうことなんだ、と知った。混じりけのない悲しさ。そこにただ、わたしがいる。わたしのことを姉猫と思っていた。かわいい弟猫。わたしはこんな混じりけの無い感情を、人間に対して持ったことがない。

 

 大地は、もともと生命力が強い子だったんだろう。元気に大きくなっている。いい名前だ、と思う。わたしが育てたので、猫が育てたわけではないから、いまいち猫としてはどうかな、と思うこともある。ちょっと甘やかしてしまった。今日もたくさん噛まれて痛かった。でも、いい。だいちゃんが生きているならそれでいい。

 

 わたしは猫の保護活動、殺処分反対運動、数を増やさないための避妊手術の啓発活動、動物保護団体への支援活動などを行っている。わたしがやっているさまざまな活動のひとつであり、もっとも時間、体力、資金などをかけている活動である。わたしが優先的にやらなければならないことだし、同時に、わたしが満たされ、やりたいことでもあるからだ。

 

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