知恵蔵日記( ..)φ

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誰だって、なにか受け継いで生きて行く。問題は「誰から」「何を」受け継ぐか、なのである。

 母親からずっと「人並み」とか「一人前」になれ、と言われ続けて頭がおかしくなっていた時期があった。それがわからないなんておかしいと言われ続けた。働いて、ボーナスをもらって、車を買って、家を買って、海外旅行に行って、そしてわたしもいい思いをさせてくれ、と言いたかったんだろう。そのために、お前に学費という「投資」を自分の人生をなげうってやってきたのだと。こっちはそんなこと頼んでさえいないのに。

だれかのために生きる、ということは見返りを求めないことなのだ。求める、というのは結局自己満足でしかない。それはわたしも気をつけるようにしている。

 

語学、というのをわたしはずっとやってきて、それは好きだというのもあるが、単純に役に立つから、というのもある。だから、スキルアップとか、ビジネスとか、そういう理由で語学をする人がいるのは知ってはいるけれども、わたしは別になにもupしないし、お金も儲からない。ただ、やってきた。そういうのは、わたしに「投資」した親からは許せない考え方なようだ。親との相性というのはどうしようもない。

 

 小さいころから、いろんな人と関わるのが好きだった。外国の人と、話すのが好きだった。話せるのだ。お互いが仲良くする気さえあれば。だから、いろんな国の人がわたしのことをとても可愛がってくれたし、わたしもよくした。そういうかんじで大きくなった。県外の人と話すのも好きだった。「日本」なんてものは、明治になって、よそのくにと戦争するために無理やりできた概念であって、それまでは小さな国がたくさんあったわけで。いまなら新幹線で40分で行ける鹿児島だって、薩摩というよその藩だったわけで。いまでもけっこうことばやアクセントは違う。

 ちがうことばや、方言の人に、「それはなんていう意味?」「どんなときにつかうの?」という質問をするのが大好きで、そこから、ああ、世界は広いな、みんな違うんだな、ということをしみじみ感じたりして、とても豊かな思いをしてきた。

 

 だから、いろんな差別があるけれども、外国人差別というのが、わたしは最も許せない差別のひとつだったりする。理屈でなく、感情的に許せない。わたしがずっと大切にしてきた世界を否定する人々が許せない。父は中国、韓国が嫌いで、ニュースを見ているとかならず悪口を言った。わたしがなにか「それはどうして?」など質問しようと思ったら、感情的に罵られた。ヘイトスピーチあふれる家庭で育ったわたし。だからわたしは社会運動で育った。まともだと思える親世代の人々に可愛がっていただいた。だから、その意思を受け継ぐ。誰だって、なにか受け継いで生きて行く。問題は「誰から」「何を」受け継ぐか、なのである。

 

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