知恵蔵日記( ..)φ

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わたしは必要とされる場所にいたい。

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 わたしはフェミニズムを専攻したわけでも、勉強したわけでもなくて、思ったことを言ったり書いたりすると、「フェミや」と言われるので、ああそうなんだと後から認識した。真性フェミというか天然フェミというか無自覚フェミだった。わたしが言ったり書いたりすることで、「ああそうかこれがフェミか」と思う人もいるようだから、ちょっとは気をつけるようになったけれども。「フェミ難しいです…」と言われたこともある。学ぶ、となると難しいかもしれない。わたしの場合、感性というか、闘いながらというかそういうかんじだったから、そんな風に思わなかった。英会話スクールで勉強すると英語は難しいけど、外国人と接していて話すしかなかったから話すようになった、という違いのようなものかもしれない。

 

 ちいさいころから、フェミだった。母親からは嫌がられた。わたしがなにかをしたり、言ったりするのを「女の子だから」という理由でたしなめられた。納得する理由ならばそうか、ならばやめようとなるが、選んだわけではない性別で、親から差別され続けた。そして、わたしはミソジニーになった。ミソジニー(女嫌い)ということばは、フェミで知った。ああ、わたしみたいな人間はたくさんいて、そもそも社会がミソジニーなんだ、と理屈で分かってすっきりした。すっきりするけど、ミソジニーが治るわけではない。

 憧れの職業に就いているのはたいてい男性だった。「いいお母さんになるよ」はとてもほめ言葉とは思えなかった。

 

 まあでも、こんな性格というか性質が必要な場面というのはときどきある。ほんとうにときどきだけど。わたしが社会運動にいるのは、こんな自分が多少なりとも活かせて、人さまの役に立っていると思えるからだ。家庭にいて娘さんをやっていれば文句しか言われないわたしでも、運動では頼りにされる。ひっぱりだこ、という状況を社会で初めて経験した。まあ、単純なんだ、わたしは。ひっぱりだこ、が良いんじゃなくて悪いことといいことはセットなんだ、っていうことが書きたいわけで。

ちなみにひっぱりだこは、「引っ張り凧」と「引っ張り蛸」と両方の表記があるんだけれども、わたしは「凧」の方を使いたいと思います。蛸を引っ張るなんて、かわいそうだから。

 フェミというのは、まあ、嫌われるんだけれども、でも同時にとても必要とされているので、わたしは必要とされる場所にいたい。そこにわたしの存在やことばを届けたい、と思います。